価値論というモノ

「一度きりの人生」
とは、よく聞く言葉だ。

誰と関わるか
誰と仕事をするか
何を大切に生きるか
何に感動するか

そして自分の人生にどう価値を見出して生きるのべきなのか。

さて”価値論”と言う言葉を耳にした事はあるだろうか?
端的に言えば、価値とは何か?である。

価値について真剣に考えた事は今までの人生で何回あっただろう。

価値論は哲学的価値論発祥の地と言われているオーストリアやドイツからその考えへの興味が始まり、
今日価値とは人間の感情や行為の機能であると考えられ、事実と区別されている主観主義的考えが有力となっている。
これは価値とは判断の主体となる個人(集団)に依存するとみる相対主義と結び付き、今日の価値論議の中心となっているのだろう。

なんとも難しい。
なぜなら主観から逃れられないのが価値というのならば、それは他人から価値を決定されてしまう可能性がある。

藝術大学を卒業している筆者は俗に言う会社という組織から形成される他人からは芸術家は必要とされないんだろうと自分の価値の無さを自分で想像し絶望した事がある。

しかし価値とは主観であるがゆえに、
芸術家なんて変わり者だろうから使えないしいらないと価値をつける人もいれば、
一芸に秀でた人は普通の人とは違う観点からアイデアを出してくれるから是非アドバイスが欲しいと価値をつける人もいれば、
一つのことを努力し続けられた人は何よりも意味があると価値をつける人もいれば、
芸術家を馬鹿にする人もいた。

もっとも何が言いたいかというと、
無数に存在する主観で成り立つ価値という創造のモノは結局自分自身が決めてしまえるという事だ。

「価値がない」
と他人に対して思える人こそが、価値がない。

それが筆者の主観である。