“不動産”と名のつく建物。
更地から見事な建物が立つ様は、
アートと捉えるべきなのではないかと最近よく感じる。
皆さんはアートにどれくらい興味があるでしょうか。
こんな時だからこそ、
家でアートの勉強をしようと
パリのオルセー美術館に行った事を振り返っている。
印象派や彫刻には特に
心が揺さぶられて、揺さぶられて
もう、大変。
◼︎オルセー美術館
もともと駅だった場所が美術館となった
オルセー美術館。
時計の位置が特にそれを感じさせる。
ものすごい量の絵画や彫刻が展示してあるので、
3時間いたけど全部は見きれなかった。
近寄ったときに目で確かに伝わる
ところどころの絵の具の溜まった部分。
くぅー!ってなる。
特に印象的な作品を少しだけ、紹介。
◼︎ベルト・モリゾ
絵画のモデルもしていた彼女は、
19世紀の代表的な女性画家。
フランス人らしい繊細さと
重なり合うような色遣いが美しい。
フェミニズムの象徴とも言われる彼女の作品からは、
みる人にとても穏やかな感情を与える。
◼︎オーギュスト・ロダン
この作品はウゴリーノの伝説に基づいた作品。
悲しいかな、
これほどまでに人間の芯の欲望を感じさせられ苦しくなる作品はあるだろうか…
4人の息子とウゴリーノ。
ウゴリーノが飢えた結果4人の息子を食してしまう。
飢えに苦しんだ時、欲望か苦悩か。
“悲しみよりも空腹が勝つ”
それが人間なのかもしれない。
◼︎モーリス・ド・ヴラマンク
ゴッホに影響されたとされるヴラマンク。
“勝手に色を選ぶ”
目で現実に見える色ではなく、印象で色をつける。
暴力的なまでのコントラストを感じさせ、
デフォルメされた物体が浮き上がる。
“野獣派”と言う言葉が生まれたのも、
納得。
◼︎フィンセント・ファン・ゴッホ
この作品は1889年頃の作品。
“耳を切り落とした事件”
で精神病院に入院していたゴッホは
絵の題材が無く、模写を始めた。
絵画でありながら、音楽のように。
絵画は個人で完成するものだが
ゴッホは私達がショパンやモーツァルトの作品を自分なりに解釈して奏でるように、
別の画家の絵を感じ取り、
それを自分なりに解釈し模写した。
波打つような筆使いを見つめていると
音やアーティキレーションを感じる。
◼︎ピエール・ボナール
“悲しくなる”
そんな風に感じるのは私だけだろうか?
人々の顔から訴えているような、泣いているような。
ボナールの作品に出てくる人々の顔はどこか悲しい。
それは何か意図があったのか、
それとも日常を何気なく描き出す為にたまたまなった表情なのか。
ボナールの作品は考えさせられる。
そして、鮮やかな色彩がよりその表現を引き立たせている気がする。
◼︎ポール・ゴーギャン
タヒチに移り住んでから画法がガラッと変わったゴーギャン。
並みの表現で言うとすれば、”べたっとしてる。”
当初は批判されたそうだが、
それはきっと価値観の違い。
人は見るもの、聴くもの、感じる感情で価値観が養われていくもの。
フランス生まれのゴーギャンがタヒチで新たに感じたものは
想像するだけでも大きかったことが分かる。
タヒチが作り出した”べたっとしてる。”
は、フランスで受け入れられなかったのは当然といえば当然。
ちっぽけな価値観に縛られて生きたくは無いなぁ なんてことをぼんやりと絵を見ながら考えていた。
私はタヒチ以降の作品が特に好き。
◼︎ピエール=オーギュスト・ルノワール
ルノワールはとても神経質な性格だったにも関わらず、
作品からは全くそれを感じさせない。
表情はさる事ながら、筆のタッチがものすごく穏やかで描かれる人の身体は丸みを帯び、目はとても澄んでいる。
“この世にはただでさえ苦しいこと、悲しいことだらけなのに、絵画くらいからはせめても幸せを感じ取ってほしい”
そんな声が聞こえてきそう。
◼︎ジャン=フランソワ・ミレー
ミレーは決して裕福ではない人を描いた作品が数多くある。
しかし、彼のそのようなテーマの作品からは同情のようなものは感じない。
この作品は言わずもがな有名な
“落ち穂拾い”
夕方を感じさせる時間の中に映し出される人々の姿、そして少し土色に染まった手が
彼女達の意志の強さを感じさせる。
こうやって見て感じる事、
とても大切だなって
改まることでも無いけれど私はそう感じました。